高松家庭裁判所丸亀支部 昭和59年(家)339号 審判 1991年11月19日
昭59(家)339号申立人・平元(家)397号相手方・平3(家)149号相手方・同150号相手方 今野美佐子
平元(家)397号申立人・昭59(家)339号相手方・平3(家)149号相手方・同150号相手方 尾崎一夫
平3(家)149号申立人・昭59(家)339号相手方・平元(家)397号相手方・平3(家)150号相手方 尾崎守
平3(家)150号申立人・昭59(家)339号相手方・平元(家)397号相手方・平3(家)149号相手方 尾崎豊子
主文
1 相手方(乙事件申立人)尾崎一夫の寄与分の申立てを却下する。
2 相手方(丙事件申立人)尾崎守の寄与分を200万円、相手方(戊事件申立人)尾崎豊子の寄与分を1200万円と定める。
3 被相続人尾崎清彦(本籍香川県○○市○○○町×××番地の×)の遺産を次のとおり分割する。
(1) 別紙遺産目録(編略)第一1、2記載の建物を相手方尾崎一夫の取得とする。
(2) 同目録第二記載の預金のうち、274万円を申立人の、1675万9836円を相手方尾崎豊子の取得とする。
(3) 同目録第3記載の社員権のうち、89口を相手方尾崎一夫の、329口を相手方尾崎守の、82口を相手方尾崎豊子の取得とする。
(4) 相手方尾崎一夫は申立人に対し、274万円及びこれに対する本審判確定の日の翌日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(5) 相手方尾崎一夫は相手方尾崎豊子に対し、1675万9836円及びこれに対する本審判確定の日の翌日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
4(1) 本件手続き費用中、鑑定人○○○○及び同××××に支給した鑑定費用合計76万円は、申立人が4万円、相手方尾崎一夫が20万円、同尾崎守が23万円、同尾崎豊子が29万円をそれぞれ負担する。
(2) 手続費用の償還として、申立人に対し、相手方尾崎一夫は20万円を、同尾崎守は23万円を、同尾崎豊子は29万円をそれぞれ支払え。
(3) その余の手続費用は各自の負担とする。
理由
一件記録に基づく当裁判所の事実認定および法律判断は、次のとおりである。
1 相続人及び相続分
被相続人尾崎文夫(明治34年3月1日生)は、昭和57年2月12日死亡し、相続が開始したが、その相続人は、長女の申立人、長男の相手方一夫、2男の相手方守、被相続人の非嫡出子の相手方豊子である。その法定相続分は相手方豊子が7分の1、その余の相続人がいずれも7分の2である。
2 遺産の範囲及びその評価額
(1) 別紙遺産目録第一記載の建物、同目録第二記載の預金及び同目録第三記載の社員権が、被相続人尾崎文夫の遺産である。その評価額は同目録記載のとおり(相続時合計4860万9836円)である。
(2) 申立人は、尾崎法広名義の200万円の定期預金がある旨主張するが、銀行に対する調査等によってもこれを認めるに足りない。
(3) 相手方らは、今野みち子名義の300万円の定期預金は相手方豊子のものである旨主張するが、同預金証書及びその印鑑は被相続人が管理保管していたことが認められるので、相手方らの提出するメモを考慮しても、その主張を認めるに足りない。
(4) 別紙遺産目録第三記載の社員権は、被相続人が出資したものと認める。
3 相手方一夫、同守及び同豊子の寄与分
(1) 被相続人は戦後種苗販売業のほか、雑穀卸業、保険代理店も営んでいたが、昭和28年12月には資本金100万円を全額出資して○○○△△運送有限会社(以下「○○○△△」という)を設立し、車3台で砂利等の運送業も始めた。そして昭和42年4月○○○△△の敷地3筆を買入れ、事務所兼車庫を新築取得した。運送業は将来2男の相手方守の事業として受け継がす予定で始めたものである。被相続人は亡くなるまで上記各営業の利益の全てを手中に収め、尾崎家の家計を握っていた。昭和48年ころから別紙遺産目録第一1、2記載の建物を貸家として不動産収入もあった。
(2) 申立人の夫が昭和32年ころ勤務先で不祥事を起こし、被相続人(当時56歳)は同夫の身元保証をしていたので、その保証責任を問われ、そのころ経済的に苦境に陥ったが、相手方豊子(当時34歳)、同一夫(同27歳)夫婦、同守(25歳)夫婦(但し昭和35年婚姻)の家業への協力を得て、遅くとも昭和40年までにその支払いを終えることができた。
(3) 相手方一夫は昭和23年旧制中学を卒業してから、家業の種苗販売業を手伝い、昭和28年12月婚姻後は妻と共に家業を手伝ってきた。同相手方は、被相続人と同居し、生活費及び子供の教育費と若干の小遣い銭を被相続人から出して貰っていたものの、労働の対価を得ていない。
しかしながら、相手方一夫は被相続人から、昭和28年12月別紙贈与財産目録(編略)第一5記載の建物を、昭和41年7月同目録第一3記載の土地を、昭和42年6月同目録第一2記載の土地を、同47年8月同目録第一1、4及び6記載の土地建物(同相手方の自宅)をそれぞれ買い与えられた。また、被相続人から○○○△△設立の際、その社員権150口の贈与を受けた。子供2名を在京の4年制の大学で高等教育を受けさせることもできた。
(4) 相手方守は、昭和27年高校を卒業し自動車修理工として働いた後、被相続人が将来の同相手方の生計のために設立した○○○△△でトラック運転手として家業を手伝ってきた。被相続人は、営業、経理及びトラック業界の役員(昭和53年に運輸大臣表彰を受ける)等の仕事をして運送業の経営に携わっていた。同相手方は昭和35年2月に婚姻するまで給料を貰っていなかったが、婚姻後は被相続人宅の近くに別居し、低い給料ながらこれを受領して別所帯となった。同相手方の妻も○○○△△の事務を手伝い同相手方同様給料を受領していた。被相続人が70歳を超えた昭和47年ころから、相手方守が実質的に○○○△△の代表者で同社を経営するようになり、自己の給料を決定することができるようになった(そのころ、同社が不動産を取得した時のローンの支払いは終わっていた)。
他方、相手方守は被相続人から、○○○△△設立の際、その社員権150口の贈与を受けた。また、昭和42年に同社所有地上に自宅を新築した際、被相続人から50万円(相続時評価額152万円)の贈与を受けた。
(5) 相手方豊子は、被相続人の妻夏子が昭和19年に病床に伏し、同20年8月死亡したが、その後同妻に代わって尾崎家の家事を担当し、母親代わりも努めた(相手方一夫が婚姻後は同妻も家事を担当する)。また、○○○△△設立後は事務員として働き、被相続人及び相手方一夫夫婦と同居したが、生活費と若干の小遣い銭を貰っていただけで、労働の対価を得ていなかった。同相手方には、祖父から贈与を受けていた建物があり、一時期貸家に出していたが、その収入も被相続人が管理し、その一部を○○○△△の営業資金に充てていた(例えば昭和56年7月100万円、同年8月60万円)。被相続人は胃ガンで死亡したが、死亡直前の半年間は付添いが必要な状態で、同相手方は被相続人の付添いをした。
他方、相手方豊子は被相続人から、○○○△△設立の際、その社員権150口の贈与を受けた。
(6) 以上認定の事実に照らすと、相手方らは被相続人の財産の維持増加に特別の寄与をしていると同時に、その寄与に報いるため被相続人から一定の財産を贈与されているので、その寄与度合いと贈与財産額を合わせ検討することによって、相手方らの寄与分の有無・程度を検討する。
まず、被相続人遺産(相続時の評価額4860万9836円)と相手方らの贈与財産(別紙贈与財産目録第一ないし第三、相続時の評価額4756万円)の相続時の評価額は合計9616万9836円である。
上記財産は、昭和32年の申立人の夫の不祥事で被相続人が経済的苦境に陥ってからも維持され、または、その苦境を乗り切った昭和40年ころから被相続人の死亡した昭和57年までの間に増加されたものであるが、その間の被相続人の年齢は50歳代後半から80歳に至っているので、相手方らの特別の寄与は、相当顕著なものがあったと推認されること、特に、相手方一夫は夫婦で無償労働により被相続人の遺産の維持増加に寄与し、相手方豊子は無償労働だけでなく自己所有の不動産収入も遺産の維持増加に役立てていた(なお、同相手方は結婚もせず被相続人に尽くし、子供の教育費等の負担もない)こと、相手方守は昭和35年に婚姻した後低い給料ながら一応給料を受領し、昭和47年ころからは自分で給料を決定し受領しているので、無償労働を提供した昭和28年から昭和35年までの間、また被相続人の経済的苦境のもとで低い給料で労務を提供した期間、被相続人の遺産の維持増加に協力したと解されること等諸般の事情を斟酌すると、被相続人の遺産及び相手方らの贈与財産の維持増加に対する寄与割合を、相手方一夫が35パーセント、同守が10パーセント、同豊子が20パーセント程度の目安で、相手方らの寄与分の有無・程度を算定することとし、相手方一夫は遺産の維持増加に協力した労に報いるにふさわしい財産(合計3336万円)を贈与されていると認められるので、寄与分を定めることができないが、相手方守は贈与財産で報われていない寄与分を200万円と、相手方豊子も同様に寄与分を1200万円と定めるのが相当である。
4 申立人の特別受益
(1) 前記のとおり、申立人の夫が勤務先で不祥事を起こしたので、同夫の身元保証をしていた被相続人はその責任を問われ、右勤務先等に対し、遅くとも昭和40年までに少なくとも300万円を支払った(○○○○○、○○○の各上申書)。被相続人は申立人の夫に対し、右支払い金額を請求することがなかったと認められるので、そのころ申立人の家族の幸せのためその支払いを免除したものと解される。
ところで、被相続人の右金銭の支払いは、自己の身元保証契約上の債務を履行したものであるから、それ自体は申立人に対する「生計の資本としての贈与」とは解することができないけれども、申立人の夫に対する求償債権の免除は、申立人に対する「相続分の前渡し」としての「生計の資本としての贈与」と解するのが相当である。
右免除額300万円の相続時の金銭評価額は997万円である。(昭和40年の消費者物価指数を28.3としたとき、同57年のそれは94.1である)。
(2) 被相続人は申立人に対し、昭和27年結婚支度金として10万円(相続時の金銭評価額は50万円)を贈与した。
(3) 被相続人は申立人に対し、昭和38年3月借家の敷金に充てるため10万円を送金した。
(4) 被相続人は申立人に対し、昭和45年借家の買い取り資金として130万円を貸与した(C-甲16)。
申立人は昭和45年12月から昭和49年7月までの間に上記(3)及び(4)の借入金元金を支払った(C-甲25、26、28ないし31、申立人審問の結果)。
(5) 被相続人が申立人に対し、上記の外に金銭等を贈与したと認めるに足るものはない。
5 みなし相続財産
遺産に申立人の特別受益を加え、相手方守及び同豊子の寄与分を控除した、いわゆるみなし相続財産の価額は4507万9836円である。
4860万9836円+(997万円+50万円)-200万円-1200万円=4507万9836円
6 相続人各自の具体的相続分の算定
(1) 相続時の具体的相続分額
申立人
4507万9836円×2/7-(997万円+50万円)=240万9953円
相手方一夫
4507万9836円×2/7=1287万9953円
相手方守
4507万9836円×2/7+200万円=1487万9953円
相手方豊子
4507万9836円×1/7+1200万円=1843万9976円
(2) 具体的相続分比率
申立人 4.957パーセント
240万9953円÷(240万9953円+1287万9953円+1487万9953円+1843万9976円)×100=4.957
以下同様に計算すると、相手方一夫は26.496パーセント、同守は30.610パーセント、同豊子は37.934パーセントとなる。
(3) 分割時の具体的相続分額
本件遺産のうち、別紙遺産目録記載第一の不動産の現時点における価額は1004万円である。同第三の社員権については値上がりの大きい不動産だけを現時点で評価した価額(2574万円)で分割するのが相当である。
そうすると、遺産分割時の遺産の評価は5527万9836円である。
1004万円+1949万9836円+2574万円=5527万9836円
右価額に相続時の具体的相続分割合を乗じて各相続人の分割時の具体的相続分を計算すると
申立人
5527万9836円×0.04957≒274万円(千円以下4捨5入、以下同じ)
相手方一夫
5527万9836円×0.26496≒1465万円
相手方守
5527万9836円×0.30610≒1692万円
相手方豊子
5527万9836円×0.37934≒2097万円
7 分割の方法
別紙遺産目録第一1、2記載の建物は、いずれも貸家として相手方一夫が管理している。同第二記載の預金も相手方一夫が保管管理している。同第三記載の社員権は相手方守が○○○△△を経営しているので、その取得を希望している。申立人及び相手方豊子は金銭による分割取得を希望している。相手方3名の仲は円満で相手方一夫及び同豊子も○○○△△を手伝っている。
以上の遺産の内容、管理使用状況並びに相続人の希望、生活状況及び具体的相続分額等を考慮すると、申立人は預金274万円を取得し、相手方一夫は別紙遺産目録第一1、2記載の建物及び同目録第三記載の社員権89口を取得し、相手方守は同目録第三記載の社員権329口を取得し、相手方豊子は預金1675万9836円及び同社員権82口をそれぞれ取得することで遺産分割をするのが相当である。
従って、相手方一夫は、申立人に対し274万円、相手方豊子に対し1675万9836円、及び本件審判確定の日の翌日からその支払済みまでそれぞれ上記金員に対する民事法定利率による遅延損害金の支払い義務を負担すべきである。
なお、鑑定人○○○○、同××××に支給した76万円は申立人において立て替えているが、これについては遺産分割における受益の程度を考慮して主文4項のとおり負担させることとし、その余の手続費用は各自の負担とする。
よって、主文のとおり審判する。
(家事審判官 馬渕勉)